kenshinlifeのブログ

カウンセラーのつぶやき

占い師とカウンセラー 後半

占い師は相談者の発したちょっとした言葉をヒントにして、さも不思議な占いの力で分かったかのようにいろいろなことを言い当てることは聞いてはいましたが、私が欲しかったのはきっとそのような神秘的な力ではなかったのだと思います。むしろ全部を話したうえでどのように立ち振る舞うべきかの助言を貰いたかったという感じでしょうね。むしろ占いがはじき出す「でたらめな助言」はあまり欲しくはありませんでした。ですのであまり自分のことをまだ話していない段階で分厚いノートを読み上げる占い師さんのいろいろな助言が結構当たっていることはすごい驚きでした。今となってはそれはそれですごいことだと感心いたします。


しかしその場で得た助言というのはなにかこう、運命的なもののような気も致します。そのころの自分は絵に描いたような典型的な「自信喪失」状態でした。そんな自分に向けられた助言はとても的を得ていました。図星(ずぼし)ということですね。しかし今となってはカウンセリング心理学を学んでいろいろな知識もあるので、ああそれはアドラー的なアドバイスをしているのですね、と分析してしまうでしょう。


なにはともあれ彼女の言葉を端的にまとめますと、「あなたは忖度しすぎているのでしょうね。周りの人々から独断的なひとだと嫌われてもいいから、あなた自身の専門的知識に従って正しいと思える意見を毅然とした態度で主張することですよ。そうしていると周りの人々は徐々にあなたのことを信頼してくれるようになり、仕事がもっと楽に進むようになるでしょうね・・・」というものでした。


その日のその助言をノートにメモしていて今もたまに読み返しています。他にもいろいろと書いてあったように思いますが一番大事なことは「基準を設定してあまりぶれないこと」、ということになろうかと思います。


考えてみればそういう生き方をその占いにいった時期をさかのぼること数年前までは出来ていたように思います。おそらく仕事の環境が変わり、不慣れな環境の中で状況が悪くなると自分のスタイルにちょっとしたぶれがでてしまい、不安になってしまったのでしょうね。いつもなら何も問題ないことなのに思い切って行動できなくなっているという感じですね。


次の球はきっと直球だとわかっていても自信をもってフルスイング出来ない感じでしょうかね。見逃しのストライクで完全に機会損失で焦ってしまい、メンタルブレブレで次のボール球に手を出してしまったためにボテボテの一塁ゴロ。はいおしまい。といったところでしょうか・・・。いつもの自分ならきっとバックスクリーンに放り込む大ホームランになっていたことでしょうね。スランプというのは本当にちょっとした違いだけなんですよね。本当に、ちょっとした違い・・・。


もしかして心理カウンセリングにいっても同じ結論になっていたのかもしれませんが占いの方が手っ取り早いように思えてきますね。占いの勉強を始めてみようかと思ったりもしますね(笑)。もちろんこれは冗談ですが、この記事でお伝えしたかったのは私のこんな経験談が自分の人生観を大きく変えたのだなあということでした。その後一生懸命にカウンセリングや心理学について学ぶきっかけとなった2019年のことを振り返ってみました。


最後にちょっと心理学的なまとめです。


無意識(潜在意識の中で)になんとなく正しい生き方をしている、しかしそれを時には意識して(顕在意識の中で)認識することというのはとても大切なのですね。そんな学びというか気付きという素晴らしい機会(占いで?笑)をみなさんにも是非経験してみてもらいたいと思います。

占い師とカウンセラー 前半

私がカウンセラーになろうと思い立った年は2019年でした。その年は大病を患いまして夏に2週間の入院をした年でもあり、病気が見つかる前の2月頃は本職の仕事の方でも精神的に極めて苦しい時期でした。そして長年別居していた高校卒業直後の息子がうちに転がり込んできたのも2019年の春でした。どの出来事も一つだけでもかなり凹むエピソードです。だからこれら3つが同時にさく裂した6月ごろはびっくりするくらい深く悩みました。まるで泣きっ面にハチにさされてさらにNHKの集金人が来たみたいな、そんな年でしたからね・・・。ちなみに私は長年未払いだったNHKさんには4年前から受信料を払い始めています。


さて、これらの3つの問題がいつの間にやら潮が引くようになりをひそめていったのはその年の秋ごろのことです。その時期に私は産業カウンセラー協会の半年間のカウンセラー養成コースに入りました。ちなみに予定通りであれば修了後の2020年の夏には資格試験を受けていたのですが、2020年の夏にはコロナの影響で試験そのものがありませんでしたので、2021年の1月の試験を受けて3月に合格したというわけでございます。合格した時は嬉しかったですね。なにせ試験(筆記と実技)は相当に難しいものでしたので・・・。産業カウンセラー資格試験の受験生経験談についてはまたいずれこのブログでも振り返って報告したいと思います。


さて、こんな人生の谷底の時期に私は占いに診てもらったことがあります。それは川口のそごうの10階の「川の流れるレストラン街」のすみのコーナーで、どこにでもある占いコーナーでした。だいだいはついたてを間仕切りにしていて、いつでもどこでもお店を開きますよといった感じですよね。前から気になっていて、同じ階のマッサージ店のお姉さんにそれとなく「あそこの占いはどうなんすかねえ・・・」なんて聞いてみたところ、「ああ、あそこの〇〇さんはすごく的中するらしいですよ」という情報を得ていました。その情報を得た次の週の日曜日(6月の初旬)に早速その女性占い師さんを訪ねました。とにかく占いなんて人生で最初の経験でした。


ひとしきり今の状況と私の生年月日を伝えましたら彼女はおもむろに分厚いノートを開いてなにやらページをペラペラとめくって、「ああ、ここ!ここ!」という顔をしました。そしてひとこと、「あなた、異性にもてなくはないけど、伴侶には恵まれないひとね」。


質問されたわけではなく、恵まれませんと断定されたわけです。もろに図星をつかれた私は、「はい、見事にありません」と応えました。この一瞬のやり取りで私はすでにまな板のうえの鯉というか、カウンセリングで言うところのラポール形成(簡単にいえば信頼関係のこと)がなされたわけでございます。


後半につづく

キャッチボールについて

だれかのブログでこんな件(くだり)を見かけまして少々感銘を受けました。それはキャッチボールについてです。それもプロの選手のキャッチボールのこと。要約しますと「キャッチボールも奥が深い」というだけの話ですので物の10秒で話は終わってしまいますが・・・汗。


10秒の話を1分くらいに伸ばしますとこういうことになります。


キャッチボールは奥が深い。なぜならばゲーム中の投球動作の基本であり、ボールを瞬時にかつ正確に相手に届ける必要があって、さらにはその動作を行うにあたり自身の効率の良いパフォーマンスを維持して、なおかつ肉体的に負担のないフォームで行う必要があるからなのです。そのためにはなにやら10個以上の項目を事細かに確認しなくてはいけないとか・・・。ボールのにぎりかたや肘の位置、投げる角度とか、投げるフォームに、投げた後の姿勢まで。もちろん選手たちは毎回それらをいちいち考えてキャッチボールをしているわけではなく、全部無意識にできるまで練習をするということなんですよね。約1分経過。


そのへんの公園で遊んでいる小学生だってキャッチボールくらいはできますけども、野球チームに入っている小学生はやはり投げ方が違いますよね。ましてやプロ選手ともなれば全然違うんですよね。しかしプロ選手だから当然という目でしかみていなくて、そういう項目をきちんと意識してキャッチボールの動画をみると自分ではまともに投げられる気がしなくなりますね(笑)。


さらに哲学的に落とし込むと、何事も道を究めるというのは生易しいことではないということでしょうか。


私たちはいろいろなことを無意識にできているように思えますが、子供のころからそれをなんどもなんども繰り返しているから出来るわけで、村上春樹の「1973年のピンボール」ではそのような日常の作業のことについて、「どんな髭剃りにも哲学がある」などとジェイは言っていますね。さて、いざ初めての習い事などをしようものならなかなかうまくできなくて結構これが凹みますよね。総括すると、そういうことなのでしょうね。キャッチボールのお話をみかけて、ふと以前読んだ「弓と禅」(オイゲン・ヘリゲル著)を思い出しました。こちらはもっと強烈でしたね。弓道を習う外国人の書いただいぶ昔の本です。師匠の下でいろいろと指導を受けるのですが矢をまともに放つことが出来るまでに何年もかかって、しかも途中で師匠から破門されかかったりもする。しかもしかも師匠は手取り足取り教えてはくれない。しかし最後には・・・(ネタバレになるので書きません)。


こんな話を聞くと「あ、自分も頑張ろう!」と思えますね。そこで満足してしまうと、「決心するだけシンドローム」になってしまいますね。こちらはケリー・マクゴニガルさんの本「スタンフォードの自分を変える教室」に詳しく書いてあります。何事にもやはり苦しい練習や試練があってこそ身につくということなのですね。本を読んでわかった気分になっているだけの自分を深く反省する今日この頃でございます。