kenshinlifeのブログ

カウンセラーのつぶやき

キャッチボールについて

だれかのブログでこんな件(くだり)を見かけまして少々感銘を受けました。それはキャッチボールについてです。それもプロの選手のキャッチボールのこと。要約しますと「キャッチボールも奥が深い」というだけの話ですので物の10秒で話は終わってしまいますが・・・汗。


10秒の話を1分くらいに伸ばしますとこういうことになります。


キャッチボールは奥が深い。なぜならばゲーム中の投球動作の基本であり、ボールを瞬時にかつ正確に相手に届ける必要があって、さらにはその動作を行うにあたり自身の効率の良いパフォーマンスを維持して、なおかつ肉体的に負担のないフォームで行う必要があるからなのです。そのためにはなにやら10個以上の項目を事細かに確認しなくてはいけないとか・・・。ボールのにぎりかたや肘の位置、投げる角度とか、投げるフォームに、投げた後の姿勢まで。もちろん選手たちは毎回それらをいちいち考えてキャッチボールをしているわけではなく、全部無意識にできるまで練習をするということなんですよね。約1分経過。


そのへんの公園で遊んでいる小学生だってキャッチボールくらいはできますけども、野球チームに入っている小学生はやはり投げ方が違いますよね。ましてやプロ選手ともなれば全然違うんですよね。しかしプロ選手だから当然という目でしかみていなくて、そういう項目をきちんと意識してキャッチボールの動画をみると自分ではまともに投げられる気がしなくなりますね(笑)。


さらに哲学的に落とし込むと、何事も道を究めるというのは生易しいことではないということでしょうか。


私たちはいろいろなことを無意識にできているように思えますが、子供のころからそれをなんどもなんども繰り返しているから出来るわけで、村上春樹の「1973年のピンボール」ではそのような日常の作業のことについて、「どんな髭剃りにも哲学がある」などとジェイは言っていますね。さて、いざ初めての習い事などをしようものならなかなかうまくできなくて結構これが凹みますよね。総括すると、そういうことなのでしょうね。キャッチボールのお話をみかけて、ふと以前読んだ「弓と禅」(オイゲン・ヘリゲル著)を思い出しました。こちらはもっと強烈でしたね。弓道を習う外国人の書いただいぶ昔の本です。師匠の下でいろいろと指導を受けるのですが矢をまともに放つことが出来るまでに何年もかかって、しかも途中で師匠から破門されかかったりもする。しかもしかも師匠は手取り足取り教えてはくれない。しかし最後には・・・(ネタバレになるので書きません)。


こんな話を聞くと「あ、自分も頑張ろう!」と思えますね。そこで満足してしまうと、「決心するだけシンドローム」になってしまいますね。こちらはケリー・マクゴニガルさんの本「スタンフォードの自分を変える教室」に詳しく書いてあります。何事にもやはり苦しい練習や試練があってこそ身につくということなのですね。本を読んでわかった気分になっているだけの自分を深く反省する今日この頃でございます。